性的嫌がらせを受けた過去について

 

誰かに言いたい、理解されたい、慰めて欲しい、守って欲しい……

 

そんな欲求が強くなってきました。

 

これは、身内から実際に性的嫌がらせを受けている時に何も言えず、ただただ我慢していたから数年経った今頃になって

胸の中で負の感情が膨らんできて抑えられなくなってしまったのだろうか。

 

辛い、悲しい、不安で仕方がない

私は幸せになれるのだろうか

 

何故私は生きているのか

まだ苦しみは続くのか

 

今付き合ってる人に話したら理解してくれるだろうか

それとも背を向けられてしまうだろうか

 

何もわからない……

 

誰か助けて欲しい

カウンセリングを勧められたけど大学生の私にはそんなお金もない

 

好きになりたい、信用したいのに男の人が信用出来ない

付き合っている人であっても

 

だからいつも直ぐに別れてしまう

今回もそうなのかな

 

じゃあ私はいつ信じられるようになるのかな

感情がコントロール出来なくて自己破壊願望が強くなった時が一番怖い

本当にコントロール出来なくなる

 

まるで他人事のように自分を見ていて、どんなに危なそうな人にも付いて行ってしまうし、場所にも足を踏み入れてしまう

 

もちろんたった一人で突っ込んでいく

そこで『あ、死ぬかもしれない』と感じた時他人事のように客観視していた自分に意識が戻って

 

『嫌だ、死にたくない!!まだ生きていたい。私は生きているんだ…』

 

と生きている事を強く感じられる。これを感じた時に身体中の感覚が研ぎ澄まされて最高潮の快感を得られる。

 

私はリストカットこそしたことは無いが

この自己破壊願望は自傷行為の一種なんだと思っている。

やめたくてもやめられる自信がない

 

自分でも自分がわからない…どうしたいのかも分からない

ただ、話を聞いて欲しい。大切にしてほしいと強く思う反面

 

どうせ私は幸せになんてなれない、小二の時誘拐されたあの山で殺されていた方がマシだった!!

もうどうでも良い

誰かに人生を滅茶苦茶にされたい。最初から他人の手に生殺与奪の権利を握られていたんだ

私がいま生きていられるのもあの時の誘拐犯が私を殺すという選択をしなかったからだ

私の命ってなんて軽い、無力なものなんだ

 

自分の意思で生きているような気になっているけどふと思い出す、

他人の意志によって生きて行けるか死ぬか決まった命だったんだ

 

価値は薄い

 

ならいっそ最後まで始末して欲しかった。

自分の意志で死ぬんじゃない、誰かの手によって

 

こいつのせいで私の人生は滅茶苦茶になったんだ!!!!!!

と言いたい

 

そんな風に思っていてもいざ死ぬかもしれない場面に立ち会うと怖くて死にたくないって強く思う

 

そうか私はまだ死にたくないんだな、とその時になってやっと分かる

 

 

何もかも人のせいにしたい

私一人で抱えて消化できるほど

もう心に余裕がない。

 

こうしてブログに整理出来てないぐちゃぐちゃな気持ちを書き綴るだけでも少し楽になる。

 

 

 

 

私以外にも同じような気持ちの人は居るのかな

 

最近になって本当に仲の良い友達とか、信頼している先生に打ち明けた

話してる間は思い出して苦しいとか辛いとかは一切無くて

 

むしろ話を聞いてくれてる間、胸の不安やモヤモヤがちょっと軽くなったし心地よかった

 

けどそれはその時だけで時間が経つとまた不安感、焦燥感に苛まれる

話すことによって一時的な心の安定は保たれるが根本的な問題の解決にはならない。

 

 

なんで私が

なんで?

 

そんなことを思ったってだれも答えてくれないし 

自分のことを守れるのも救えるのも自分だけだ

所詮他人に起きたことは他人事だ

世の中理不尽なんだ

そんなことはとっくに分かっているのに

 

いつかいま付き合っている人に全部打ち明ける決心がついたらまたブログを更新しようと思う。